保育園を卒園し、ようやく訪れたピカピカの小学校生活。
意気揚々とランドセルを背負い希望に胸を膨らませる娘。
しかし、そこに待っていた「小1の壁」という現実は、我が家にとってあまりにも残酷だった。
小1の壁
小1の壁とは?
小1の壁とは、共働き家族が小学校進学でぶち当たるものを指すようです。
これまでは保育園に子供を預けていたが、学童保育になると保育園ほど手厚いフォローが期待できない。
また、学童保育に預けられるのはまだいい方。
通学する小学校に併設する学童保育がなく、遠方に通わせたり、有料の施設を利用したり、最悪仕事を辞めたりなど、あらゆる苦難が押し寄せる。
それを総じて小1の壁と呼ぶようです。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181003-00000537-san-soci
学童保育と保育園の違い
学童保育と保育園には明確な差があります。
これは、筆者が通わせていた保育園と学童保育の差になりますので、すべて同じではないことをご認識ください。
開園時間
保育園は朝の7:30から預かってもらうことが出来たが、学童保育は放課後しか開園してません。
ですので、朝の通勤が子供の通学より早い方は子供を一人で登校させなければいけません。
子供の登校時間は7:50頃でしたので、あと数十分を捻出しなけれいけないのです。
幸い我が家の場合、通勤は子供の投稿より後だっため、一人で家の鍵を閉めて登校ということはありませんでしたが、通勤が早いという方は会社と調整する必要が出てきます。
閉園時間
保育園の閉園は18:30でしたが、保育園には延長保育がある。
そのため最大19:30まで預けることができました。
それが学童保育だと原則18:00閉園。
一応19:00までは延長してくれるのだが、18:00以降預ける場合は親が迎えに行かないといけないルール。
このルールが後の悲劇を招くのです。
我が家の帰宅時間は、夫婦ともに19:30頃。
早い時は19時前には帰宅できたのだが、原則保育園では延長保育のお世話になっていました。
でも学童保育だとそれが出来ない。
そこで仕方なく17:30に子供を帰宅させ、19時頃までは家で留守番してもらうしかなかった。
一人っ子の小学生の娘に留守番をさせるのは苦渋の決断。
しかし仕事を続けるにはそれしかない。
学童保育のルールに従うにはそれしかなかったのです。
長期休み期間
春休み、夏休み、冬休みの期間は、学童保育で9時から18時まで預かってもらうことが出来ます。
長期休みの期間、学童が開いてくれるのはありがたかったのですが、まず9時からというのが最初のネック。
小学校の当校は7:50頃だが学童に行くのは8:30頃行かせても早すぎるくらい。
さすがに通勤をギリギリまで遅らせても8:30までは家にいられない。
仕方なく子供に鍵をかけさせて一人で行かせるしかなかった。
そして当然のことながら給食なんてありません。
長期の休み期間は毎日お弁当を作って持って行かせます。
これは休み期間だけなのでそれほど苦痛ではありませんでしたが、さすがに毎日となると大変です。
それより何より、長期休みの期間に学童に通わせることへの背徳感みたいなものが何よりつらかった。
夏休みともなれば、周りの子供は真っ黒になって毎日遊びまくっている。
小学校1年生ともなれば、体力もつきいろんな遊びができるようになり、何も考えず無邪気に遊べる時期。
それなのに娘は毎日リュックを背負って学童へ通う日々。
夏休み中も当然同じ境遇の友達はいるが、友達が実家に行ってしまったり、旅行に行ってしまうと同学年の友達は少なく、寂しい思いをする。
長期休み中に学童へ通わせることそのものが、大きな苦痛だったことを今でも覚えています。
鍵っ子の悲劇
学童保育へ通わせていた娘は、毎日一人で帰宅させるしかなかった。
学童のルールが悪いわけではなく、帰宅時間を早められない親の責任。
小学校1年生の娘を一人で留守番させることは、大きなリスクでした。
まず帰宅したら母親に電話、母が出なかったら父親に電話。
電話のかけ方を教えて、家にひらがなでマニュアルを作って貼っておきました。
何度も何度も電話をかける練習をして、一人でもかけられるように訓練をしました。
今考えれば、すぐにでも携帯電話を持たせるべきでしたが、後手後手に回ってしまいましたね。
娘が帰宅したことを確認できる電話は、仕事中何よりの精神安定剤だった。
しかし、そんなある日。
私の携帯に娘ではなく妻から電話がかかってきた。
「娘から電話あった?電話来ないんだけど!」
え?自分のところにも電話ないけど・・・
慌てて学童保育に電話したが、娘は1時間ほど前に帰宅したとのこと。
背筋に冷や汗が流れ、血の気が引いた。
娘に何が起きたのか?
事故にでもあったのか?
誰かに連れ去られたか?
神隠しにあったのか?
私は会社に事情を説明し、タクシーに飛び乗った。
帰りの道中事故などないか周囲の状況を確認しながら家の前へ。
頼むから鍵を忘れて家に入れず、家の前で座っていてくれ・・・
という願いも虚しく、家の前には誰もいない。
本当にどこかに行ってしまったのか?
本気で最悪の状況を想定するしかなかった。
しかし、家のドアを見てみると貼り紙が。
「娘さん鍵を忘れたらしいので預かっています。」
幸い隣人が預かっていてくれたらしい。
鍵を忘れてしまった娘は、気が動転して家のまで号泣。
たまたまその声を聞いた隣人が、善意で預かっていてくれていたのです。
良かった、本当に良かった。
娘の顔を見た途端、涙が止まらなかった。
もうあんな経験は二度としたくない。
娘にごめんねと何度もあやまったことを生涯忘れない。
ウツから退職へ
妻の仕事が徐々に忙しくなっていき、娘の留守番時間はどんどん長くなっていく。
時には9時ごろまで帰らない日もあり、小学校1年生の娘から泣きながら電話がかかってくることもあった。
娘が鍵を忘れてしまった日から、妻の罪悪感は日に日に強まっていった。
娘を一人で帰らせる。
娘を独りぼっちにしてしまう。
一緒にいてあげられない。
夏休みや冬休みも遊ばせてあげられない。
そんな思いと仕事のストレスが重なり、妻の心は徐々に壊れていく。
そして3年後、妻の心は折れてしまった。
独りぼっちにしてしまった娘のために、結局会社を退職することにした。
むしろ大きくなってきたこれからもっと働ける時なのに、すでに心はボロボロになっていたようだ。
今の妻の口癖は「1年生の頃全然面倒見れなかった。もうあんな寂しい思いはさせたくない。」
忙しさと引き換えに、後悔だけが残ってしまう形になってしまった。
まとめ
我が家の小1の壁はあまりにも厚すぎた。
共働きで収入が増えるのはいいが、失うモノの方がはるかに大きい。
そんなことを小1の時代に学ぶことが出来た。
学童保育の充実は、これから先女性を社会復帰させるためにも非常に重要です。
ですが、もしどうしても仕事をしないと生活が出来ない。
絶対に会社を辞められない。
という理由がないのであれば、あまり学童保育に依存することは危険かもしれません。
保育園ほどの機能の充実を学童保育に求めるのは難しい。
やはり子供が小さいうちは仕事をセーブするか、両親に頼るという選択肢も考えるべきなのでしょう。